2014年7月31日木曜日

淡路島独立計画

みなさんお久しぶりです。
島の情報室オオタです。
地方で編集講座をやりたいと思った動機の一つに、
去年『大阪保険医雑誌』という、大阪のお医者さんが読む専門誌に
「淡路島独立計画」というコラムを書いたことがあるので、
少し長くなりますが、再掲してみました。

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わたしのふるさとは淡路島です。
2000年に大学進学で島を離れて以来、滅多に帰ることはありません。
淡路島には大学や専門学校がほとんどないため、
高校卒業後多くの若者が島を離れます。
そして、彼らの多くは故郷に戻ることがありません。
わたしもその一人でした。

 1998年の明石海峡大橋の開通をきっかけに、島は大きく変わりました。
交通はフェリーから高速バスへ、中心市街の洲本市には大手ショッピングセンターが
でき、島内にほとんどなかったコンビニエンスストアもあちこちにできました。
島外との行き来が便利になる一方で、商店街には空き店舗が増え、
町には空き家が目立つようになりました。
わたしは帰省するたびに、寂しさと負い目を抱いていました。

 そんな淡路島に対する思いが変化したのは、島外の人の言葉でした。
「食べ物がおいしい」「きれいでいいところ」「田舎があるっていいな」。
自然の多い環境や昔ながらの風習、ふるさとがあることへの憧れ。
それらは島内にいては決して気づかなかったことでした。
わたしは島外の人の言葉に触れて初めて、淡路島の魅力を知ったのです。

 そして、淡路島のもつ可能性についても考えるようになりました。
 交通が不便で情報が入ってこないことで、方言や祭りなど島独特の文化が発展し、
保存されることになりました。
京阪神に比べて都市化が遅れたことで、
地域のつながりが色濃く残されることになりました。
 さらには、淡路島は瀬戸内海一大きい島なので、農村、漁村、町と
ひとつの島にさまざまな顔があります。
また、立地も京阪神から2時間ほどでアクセスできます。島でありながら、
学校や病院といったインフラも整っており、農、水産、畜産業も盛んで
食料自給率が100パーセントを越えています。
 さらにその思いに確信をもったのは、電力と仕事を島で作る取り組みがあると
知ったことでした。201112月から、淡路島と兵庫県が連携して、
「あわじ環境未来島構想」のもと、2050年までに再生可能エネルギーによる
電力自給率を100パーセントにしようという取り組みが始まりました。
また、2012年からは厚生労働省の地域雇用創造推進事業を活用して、
島内で仕事おこしをして、移住者を増やそうという「淡路はたらくカタチ研究島」
という事業も行われています。

 地域のアイデンティティやコミュニティが生きていつつも、多様性があり、
インフラや食料が島内でまかなえる。
さらに島でありながら利便性もある。
その上、電力が自給でき、経済的に自立できれば、
淡路島がひとつの独立国のようになれるのではないでしょうか。
 経済発展と都市化することがよしとされていた時代においては、
それは夢物語だったのかもしれません。
しかし、この頃の古いくらしや自然と共に生きることに魅力を感じる
同世代を見ていると、あながちそうとは言い切れないと思わされます。
自然や立地に惹かれて、移住するアーティストや職人、
東日本大震災をきっかけに関東から移住する人も、少しずつですが増えてきています。

 島外から吹く新しい風と、島内の文化とが混ざりあったときに何が生まれるのか、
わたしは期待しています。
そして、そのときに淡路島に必要とされるのは、島から情報発信するメディアでしょう。淡路島にはまだ出版社がありません。
そう遠くない将来、わたしがその第一号となっていることを夢想しています。